SAW

今更見た。

実に何も生み出さない映画。
無間地獄にいるような恐怖と人間性を否定された心の痛み、そしてその裏側にあるカタルシス。ただそれだけの映画。

羊たちの沈黙+デビッドフィンチャー+あとなんだろう

映画に漂う非生産性は、裏腹で娯楽的な消費を喚起しているが、
立場逆転(seesaw)の喜劇を演じるのがいづれも男であることが、この非生産性に拍車をかける。
女(医者の妻と娘)は気高く強く、自らを守り生き残る。
男達はゲームに踊り、脅え、選択を過り、哀れに果てていく。

女性性=生産的、男性性=消費的という二元論はいかにも乱暴だが、
それでも男だけの世界には何かを生み出すという予感が全く無い。
現代の女性が、女性らしくあり続けるために、ひたすら消費を強いられているという現実を加味しても。

フランドル

「荒涼たるフランドルの風景をバックに、不条理に満ちた戦場に駆り出され狂気のままに罪を重ねる男たちと、その罪を自らの全身で受け止める一人の少女の姿」
らしい。

むき出しの心象風景の小さな世界観の中で、戦争の不条理が描かれている。
戦場の描写はシンプル、でありながらリアリズムを残している。

ドッグヴィルを見たときに、無いはずの背景が見えてくる一瞬があった。
そんな感じに似ていなくもない。

無口な主人公の物思うワンショットは好きな構図だけれども、
この作品のそれは劣等感を写し取ろうという下心が透けて見えてあざとかった。

「罪を全身で受け止める少女」とやらには全く心動かされなかったが、
見終わって映画全体を思い返してみると、なぜか強い印象が刻まれていた。

良い自主映画を観た後のような。

300(スリーハンドレッド)

要するに、というか要するまでもなく、マッチョでナルシスティックな自惚れと自己満足に満ちた300人の、自殺的な戦い。
筋肉を強調する衣装や、躍動する肉体だけを印象つけるような映像表現。300人がレオニダス王のコピーに見えるほどに純化された、ある死に酔った王の、死に行く瞬間の、陶酔に満ちた、走馬灯そのもののような映画。
走馬灯であるゆえに、背景や群集には意味が無い。
王妃が政敵に身体を明け渡すという妄想的な展開もまた、走馬灯のなせる業。

自殺の自己陶酔的側面について。

この1週間で、3人の自殺現場を見た。
いづれも女性で、よく知った人で、むろん比喩だが、彼女達の自殺を賞賛すべきだったかどうか、未だに答えが無い。

キングダム・オブ・ヘブン(ディレクターズカット版)

この一年、週末ごとに見てきた映画達の中で、一番心惹かれた映画のディレクターズカット版をDVDで買って見直してみた。

キャラクターの設定と背景描写が増えていて、売り文句としては「より深く描かれた云々」なんだけど実際は冗長化、というダメなほうのディレクターズカット版っぽい。

確かに公開版は言葉が足りなくて損してたかもしれんが、50分は足しすぎかもしれない。
昨今のDVDビジネスという側面を考えると、プレミアム狙いで無理やりDC作らされるということもあるのかもしれない。

「劇場未公開シーンを売りにするからどんどん足しとけ!」みたいな。

いつの時代も同じことで、人々は幻想に酔って、実際は生臭く、泥臭く、腐敗と、怨念に満ちていて、新しい正しいことをやろうとしてはいても、その理想は幻想で、挫折して現実の中で後始末をしなければならない。

この映画の主人公は、DC版で寡黙さは失ったが、相変わらずまっすぐに戦っていた。
エルサレムの陥落を指揮する、という絶望的な戦いの中に希望を見出しつつ。

なにかに幕を引く戦いというのも、重要なんだなぁ

ヒストリー・オブ・バイオレンス

映画というのは不思議なもので、ちゃんとした監督の作品ほど、登場人物に一定の傾向を感じることができる。

描き方や撮り方もそうなんだろうけど、こだわっている人ほどキャスティングに力を入れているということかも知れない。

映画に限らず仕事はすべからく人材が全て。
スタッフィングが全てを決める。

クローネンバーグの映画には、頬のこけた疲れた感じのおっさんがよく出てきて、色あせた町並みをバックになんとも辛気くさい空気をかもし出す。

    
Pages: < 1 2 3 4 5 6 7 8 ...12 13 14 Next>>