ヱヴァンゲリオン新劇場版:破
「思い出演出」は見るからに過剰で、過剰さで迷彩されているのは、恥ずかしいほどに率直な愛の言葉。
「破」がテレビ版と本質的に違うのはただ一点、その瞬間だけ。
それ以外は、描き直されたシーンも書き直されたプロットも形を変えた使徒も3号機に乗ることになったアスカや新キャラであるメガネ娘さえも、クライマックスに一言だけ付け加えられた言葉のもつ新しいメッセージをカモフラージュするデコイ、組み替えられた形状のパターンに過ぎない。
「来い!」
シンジが叫び、レイが応えて手を伸ばす。
この率直過ぎる愛の呼びかけとそれに対する応答こそが、唯一原作から付け加えられた本質的な変更ではないかと思う。
意図的に描き混ぜられた記憶のカオス。懐メロや、終わらない夏の情景が醸し出すノスタルジアが、この映画の時間軸が子の記憶と父の記憶との混線の上に成り立っていることを証明している。
父が担っていた「力」という役割は、覚醒を契機に子に引き継がれる。
未来を手繰り寄せる強引さとともに。

